西郷隆盛の愛犬「ツン」の性別はメス?銅像のモデル犬と生涯13頭の真相
東京・上野恩賜公園のシンボルとして佇む、素朴な着流し姿と連れ添う愛犬の銅像。日本史に燦然と輝く維新の英傑・西郷隆盛の姿として、多くの人が真っ先に思い浮かべる情景です。西郷といえば屈指の愛犬家として知られ、その相棒といえば「ツン」という名が広く定着しています。
しかし、明治の元勲が注いだ犬たちへの愛情と史実を紐解くと、教科書や観光案内では語られない驚きの真実が次々と浮かび上がってきます。「ツンは実はオスではなくメスだった」「上野の銅像に佇む犬はツンではなく、別のモデル犬が存在した」「生涯で溺愛した犬は確認されるだけでも10頭を超える」――。一次史料や関係者の記録から明らかになった、愛犬家・西郷隆盛と犬たちの知られざるドラマを徹底取材しました。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:西郷隆盛の代名詞である名犬「ツン」は薩摩犬のメスだが、上野公園の銅像に彫られた犬は仁礼景範中将の愛犬「海(オス)」がモデルであり、性別もオスとして造形されている。
- 要点2:西郷が生涯で飼育した犬は記録に残るだけでも13頭にのぼり、医師から勧められた肥満解消の「ウサギ狩り」を通じて無二のパートナーとなっていた。
- 要点3:西南戦争の最終局面である城山の決戦直前、西郷は愛犬たちの命を救うために縄を解いて山野へ放っており、その深い絆は単なるペットの域を遥かに超えていた。
【真相解明】名犬「ツン」の性別はメスだった|愛犬家・西郷隆盛が惚れ込んだ薩摩犬の実像
西郷隆盛の犬といえば、誰もがその名を挙げる「ツン」。ピンと立った耳と鋭い眼光、精悍な立ち姿から勇敢な雄犬を想起しがちですが、ツンの性別は紛れもない「メス(牝犬)」です。
ツンは、現在の鹿児島県薩摩川内市東郷町藤川の愛犬家・前田善兵衛が飼育していた薩摩犬でした。薩摩犬は古くから薩摩藩内で猪狩りや鹿狩り、ウサギ狩りの猟犬として改良されてきた日本犬の一種です。野性味あふれる性格で、獲物に向き合う勇猛さと主人に対する絶対的な忠誠心を備えていました。
当時の記録によると、西郷はウサギ狩りに訪れた先で前田善兵衛が連れていたツンの卓越した狩猟能力と美しい体躯に一目惚れしたと伝えられています。西郷は善兵衛に対し、「どうかあの犬を譲ってほしい」と何度も熱心に頼み込みました。当初、善兵衛は愛犬を手放すことを渋ったものの、西郷のあまりの熱意と誠実な人柄に打たれ、愛馬と引き換えにする形でツンを譲渡したという逸話が残されています。
名猟犬として西郷の手元に引き取られたツンですが、気性が非常に激しく、当初は新しい主人のもとから脱走して元の飼い主の家へ戻ってしまうことすらありました。西郷はその自立心の強さと誇り高さをかえって愛おしく思い、生涯にわたって格別の愛情を注ぎ続けました。「ツン」という愛称の由来には諸説あり、ツンとすました勝気な性格から名付けられたとも、薩摩地方の方言や毛並みの特徴にちなむとも伝えられています。

上野公園「西郷隆盛像」の犬はツンではない?|彫刻家・後藤貞行とモデル犬「海」の舞台裏
上野恩賜公園に立つ西郷隆盛像の足元に侍る犬を見上げると、案内板などには「連れているのは愛犬ツン」と紹介されるケースが少なくありません。ところが美術史および明治の彫刻史の記録を精査すると、銅像の犬の直接のモデルはツンではないという決定的な事実に行き当たります。
1898年(明治31年)に除幕された上野の銅像は、人物部分を高村光太郎の父として知られる名匠・高村光雲が手がけ、連れている犬の制作は当時動物彫刻の第一人者であった後藤貞行が担当しました。さらに鋳造工程は卓越した技術を誇る名工・高野兼吉らが務め、日本屈指の彫刻陣による国家的一大プロジェクトとして完成に至った傑作です。
制作が始まった当時、西郷が世を去ってからすでに約20年が経過しており、愛犬ツンもとっくに世を去っていました。さらにツンの鮮明な写真や詳細なスケッチは残されておらず、後藤貞行は制作の糸口を求めて薩摩犬を探し回ることになります。
そこで白羽の矢が立ったのが、旧薩摩藩士で当時の海軍中将であった仁礼景範が飼っていた「海(かい)」という名前のオスの愛犬でした。後藤貞行はこの「海」を自らの仕事場に通わせ、骨格や筋肉の付き方を徹底的にスケッチして銅像の造形を練り上げました。
この制作経緯により、後世の美術研究者や歴史愛好家を驚かせる「2つのズレ」が生じることになります。
第一に、ツンがメスであったのに対し、銅像の犬は堂々たるオスの肉体として造形され、陰部もしっかりと彫り込まれている点です。第二に、本来の薩摩犬の特徴であるピンと直立した三角耳ではなく、やや垂れ気味の耳やがっしりとした胸郭など、洋犬(ポインターなど)の血が混ざったような容貌になっている点です。後藤貞行は西郷の猟犬としての精悍さを表現すべく、海の骨格をベースにしつつ関係者の証言を複合して像を完成させたため、史実のツンとは異なる独特のハイブリッドな姿が後世に残ることとなりました。
【データで比較】西郷隆盛の主な愛犬一覧と上野銅像モデルの決定打
西郷隆盛が愛した犬たちはツンだけにとどまりません。記録に残る代表的な愛犬たちと、上野の銅像に結実したモデル犬の特徴を比較検証します。
| 犬の名前・項目 | 性別・推定犬種 | 主な役割・エピソード | 史料・後世への影響 |
|---|---|---|---|
| ツン | メス(牝) 純系薩摩犬(虎毛系) | 東郷町の前田善兵衛から譲受。 抜群の俊足でウサギ狩りのエース。 | 西郷の最も有名な愛犬として定着。 銅像建立時にモデルと誤認される。 |
| 海(かい) | オス(牡) 薩摩系雑種(洋犬混血) | 海軍中将・仁礼景範の飼い犬。 彫刻家・後藤貞行が直接写生。 | 上野公園西郷像の実際のモデル犬。 雄のシンボルが明確に造形される。 |
| カヤ | オス(牡) 和犬系猟犬(黒褐毛) | 西南戦争にも同行した最側近犬。 西郷が最も長く行動を共にした1頭。 | 城山の自刃直前に逃がされた記録が残る。 鹿児島各地の手記に登場。 |
| シロ | オス(牡) 白毛の薩摩犬系 | カヤと共に戦場を駆けた白い猟犬。 西郷の寝所の傍らを片時も離れず。 | 西郷の放犬後、生き延びて地元民に保護されたとの証言が語り継がれる。 |
| トラ/テツ/クロ ほか | 諸説(牝牡混合) 薩摩犬および実用猟犬 | 毛色や特徴から命名。 多い時は十数頭のパックで山野を疾走。 | 武村屋敷の記録や書簡に散見。 確認される生涯頭数は13頭以上。 |

【実態検証】なぜ西郷隆盛は10頭以上もの犬を飼ったのか?|医師の減量指示と西南戦争の脱出行
西郷隆盛は生涯に何頭の犬を飼っていたのでしょうか。当時の書簡や従者の回想録を総合すると、名前が判明している犬だけで13頭、一時的に預かっていた犬や血統を掛け合わせた犬を含めると優に十数頭から20頭近くに及んだとされています。
これほどまでに多数の犬を飼育した背景には、西郷自身の深刻な健康問題と、それに対する独特の治療法がありました。
明治維新後、参議として新政府の中枢にあった西郷は、極度の激務と美食、そしてもともとの体質が重なり、身長約180センチメートルに対して体重が100キログラムを優に超える肥満体に悩まされていました。呼吸困難や動悸を訴える西郷を診察した明治天皇の侍医、ドイツ人医師テオドール・ホフマン(後にエルヴィン・フォン・ベルツらへ引き継がれる西洋医学チーム)は、薬物療法とともに「厳格な食事制限」と「激しい全身運動」を命じました。
このとき運動療法として推奨されたのが、山野を駆け巡るウサギ狩りでした。西郷はこの処方を徹底的に実践します。下野して鹿児島に戻った後、愛犬たちを引き連れて毎日のように近郊の山々へ繰り出しました。犬たちの鋭敏な嗅覚と疾走感に合わせて自らも草むらをかき分け、汗だくになって獲物を追う時間は、西郷にとって過酷な政治的重圧から心身を解放する唯一の救いでもありました。
西郷の愛犬家ぶりは徹底していました。鹿児島・武村の屋敷では、愛犬たちに人間と同じような白米や味噌汁を与えるだけでなく、時には自身のおかずであるウナギやすき焼きの肉を犬たちに気前よく分け与え、家族から「人間よりも犬の食事代の方が高い」と苦笑されたという証言が残っています。
そして1877年(明治10年)、西南戦争の戦火の中でも犬たちとの絆は途切れませんでした。西郷は本営を移動する過酷な行軍の最中も、シロやカヤといった精鋭の猟犬数頭を従軍させていました。弾雨飛び交う陣中において、犬たちは西郷の寝首を温め、傷ついた将兵たちの心を和ませるマスコットでもありました。
最期の時が迫る城山包囲戦の直前、西郷は従者に対し、連れていた犬たちの首輪と縄をすべて解くよう命じました。
「お前たちまで連れ添って討ち死にする必要はない。山へ逃げて生き延びよ」
愛犬たちの命だけは助けたいという西郷の情愛がにじむこの放犬の瞬間は、近代日本の幕開けに散った巨魁の人間性を象徴する屈指の哀切なエピソードとして語り継がれています。
一般に知られていない盲点とネットの誤解|「忠犬ハチ公」との混同と薩摩犬の現在
インターネット上の検索コミュニティやSNSでは、西郷隆盛の愛犬に関して幾重もの誤解が流通しています。その代表的な事例を検証し、史実に基づく正しい知識を整理します。
最も典型的な混乱が、渋谷駅の「忠犬ハチ公(秋田犬)」との混同です。上野と渋谷という東京の二大銅像スポットの連想から、「西郷さんの犬も秋田犬ではないか」「忠犬ハチ公の親戚筋ではないか」といった書き込みが知恵袋等で見受けられますが、これは完全な事実誤認です。西郷が溺愛したのは秋田犬ではなく、九州南部固有の薩摩犬です。
もう一つの大きな誤解は、「薩摩犬は柴犬のようなおとなしい家庭犬」というイメージです。本来の純血薩摩犬は、猪や熊を相手にしても一歩も引かない猛烈な気迫と俊敏な跳躍力を持ち、見知らぬ他者には容易に懐かない硬派な日本犬でした。昭和期に入ると洋犬との交雑が進み、一時は純粋な血統がほぼ途絶え「絶滅した」とすら言われました。その後、鹿児島県内の有志や保存会によって山間部に残っていた個体からの復元活動が進められ、貴重な地域犬種としての保存が続けられています。
また、上野公園の銅像が完成した際、西郷の妻である糸子夫人が除幕式で銅像を見て「うちの宿父(しゅくふ)はこげんなお人じゃなか(夫はこんな人ではありません)」と漏らした逸話は有名ですが、この発言は西郷本人の人相だけでなく、「普段は洋服を着ない夫が着流し姿で、しかも引き連れている犬の姿も実物と違う」という複雑な違和感を含んでいたとする見解も有力です。

【プロの結論】アニマルセラピーと「無私の癒やし」から読み解く西郷隆盛の精神構造
現代の心理学・関係性から見出すべき教訓
明治維新という未曾有の国家変革を牽引した西郷隆盛は、卓越したカリスマ性を持つ一方で、常に政治的謀略、裏切り、仲間たちの非業の死といった極度の心理的ストレスに晒され続けていました。
人間関係の利害や権謀術数が渦巻く中央政界において、西郷が求めたのは「打算のない絶対的な無条件の信頼関係」でした。犬たちは相手が元勲であろうと罪人であろうと態度を変えず、注がれた愛情に対して全身の歓喜で応えます。西郷にとって犬たちと過ごす時間は、激動の時代に肥大化した自らの社会的ペルソナ(仮面)を脱ぎ捨て、本来の素朴な自己を取り戻すための「アニマルセラピー」であり、心理的境界線(バウンダリー)を守る最後の砦であったと考えられます。
この歴史的事実は、過度な情報化と複雑な人間関係に疲弊する現代人にとっても極めて示唆に富む教訓を含んでいます。
【プロの結論】愛犬との付き合い方に見る判断基準
西郷隆盛の愛犬哲学から導き出される、「ペットとの真摯な関係性を築ける人」と「慎重になるべき人」の条件は以下の通りです。
▼ 犬との共生に向いている人・深い絆を育める人
- 対等な生命としての敬意を持てる人:西郷のように、獲物を追う能力や自立した性格を尊重し、単なる「人間の都合の良い所有物」として扱わない姿勢を持てること。
- 心身の健康と時間を共有できる人:ウサギ狩りのように、自ら足を動かして屋外で共に汗を流し、ペットの本来の運動欲求を十分に満たしてあげられる環境があること。
- 最期まで命の責任を背負える人:過酷な戦況の最中であっても犬の生命を最優先に案じ、適切な判断を下せる覚悟があること。
▼ 安易な飼育に警鐘を鳴らすべき人・慎重になるべき人
- 見た目のイメージやブームだけで選ぶ人:「上野の銅像が精悍だから」「名犬だから」といった外形的な理由だけで気性の激しい猟犬種を飼い、持て余してしまうタイプ。
- 自己承認欲求の道具にしてしまう人:SNSでの見栄えや自らのステータス誇示のためにペットを利用し、犬本来の気質や運動要求を軽視してしまう傾向がある場合。
【西郷隆盛の犬の名前】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:西郷隆盛の愛犬で一番有名な「ツン」の性別と犬種は何ですか?
A1:ツンの性別は「メス(牝犬)」です。犬種は鹿児島県固有の日本犬である「薩摩犬」で、ピンと立った三角の耳と鋭い眼光、野性味あふれる虎毛系の被毛を持った名猟犬でした。
Q2:上野公園の銅像の犬は、なぜツンとは違う姿をしているのですか?
A2:銅像が制作された明治中期にはすでにツンが他界しており、写真も残っていなかったためです。動物彫刻家の後藤貞行は、仁礼景範海軍中将が飼っていた「海(かい)」という実在のオス犬を直接スケッチしてモデルにしました。そのため、銅像の犬はオスとして造形され、洋犬の血が入ったような体つきになっています。
Q3:西郷隆盛が生涯で飼った犬の頭数は全部で何頭ですか?
A3:公式な記録や書簡から名前が判明している犬だけでも「ツン」「カヤ」「シロ」「トラ」「テツ」など13頭にのぼります。一時的に保護していた犬や猟犬の群れを含めると、生涯で飼育・管理した頭数は十数頭から20頭近くに達したと推計されています。
Q4:西郷隆盛はなぜそんなにたくさんの犬を飼っていたのですか?
A4:最大の契機は肥満解消のための医師の指示でした。体重100kgを超えていた西郷は、健康改善のためウサギ狩りを日課とし、その相棒として優れた猟犬を多数飼育しました。また、激しい権力闘争による精神的疲労を癒やす無二のパートナーとしても犬たちを溺愛していました。
Q5:西南戦争のとき、連れていた犬たちはどうなったのですか?
A5:西郷は陣中にも「カヤ」や「シロ」といった愛犬を伴っていましたが、最後の決戦地となった城山で自刃する直前、犬たちの首輪と縄をすべて解き、「逃げて生き延びよ」と山野へ放ちました。その後、一部の犬は近隣の農家に保護されて生き延びたと伝えられています。
まとめ:時を超えて愛される西郷隆盛と犬たちの絆
西郷隆盛の愛犬「ツン」をめぐる真相を紐解くと、そこには「実はメスだった」「上野の銅像のモデルは海というオス犬だった」という歴史の意外な綾にとどまらず、維新の英傑が抱えていた人間的な温もりと孤独が鮮やかに浮かび上がってきます。
明治という激乱の時代を全力で駆け抜け、最後は故郷の山野に散った西郷隆盛。彼が愛犬たちと山を駆け巡り、同じ釜の飯を分け合った記憶は、上野の山に立つ孤高の銅像の傍らに、今も静かに息づいています。 (出典: 西郷 隆盛 の 犬 の 名前(Yahoo!ニュース))