ろうあ者とは?ろう者や聴覚障害者との違いと現在使われない歴史の真相
日常の会話や公的文書、古い文献などで「ろうあ者(聾唖者)」という単語を目にし、現在の「ろう者」や「聴覚障害者」と何が違うのか疑問を持たれるケースが後を絶ちません。「昔の言い方なのか」「使うと差別に当たるのか」といった問いは、2025年11月に日本で初開催された東京デフリンピックのレガシーを経て、多文化共生への意識が高まった2026年の今、改めて正しく理解しておくべき重要テーマとなっています。
かつて広く使われていた「ろうあ者」という呼称の背景には、音声言語を絶対視した教育の歴史や、当事者たちが自らの尊厳を勝ち取ってきた運動の軌跡が刻まれています。医学的な「聞こえにくさ」を表す言葉と、手話を母語とする「文化的な誇り」を表す言葉の違いを整理しながら、現場の実態と最新のコミュニケーション事情をジャーナリスティックな視点から検証します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:「ろうあ者」は「耳が聞こえず口も利けない」を意味する医学・歴史的用語であり、現在は「話せない」という偏見を避けるため公的・日常的な呼称としては「ろう者」または「聴覚障害者」が主流。
- 要点2:手話を第一言語とする言語的少数者としての自認を持つ「ろう者」と、医学的な機能障害全般を指す「聴覚障害者(難聴者・中途失聴者を含む)」は明確に区別される。
- 要点3:「一般財団法人全日本ろうあ連盟」などの歴史ある団体名には権利獲得の象徴として残る一方、個人への呼びかけや職場・行政支援では本人のアイデンティティに寄り添った表現が求められる。
【徹底比較】「ろうあ者」「ろう者」「聴覚障害者」の決定的な違い
日常会話やメディアにおいて、これらの呼称はしばしば同義語のように混同されています。しかし、それぞれの言葉が指し示す対象や内包する思想には決定的な隔たりが存在します。
「ろうあ者(聾唖者)」の「聾」は耳が聞こえないこと、「唖」は発声や発話ができないことを指します。かつて医学界や法制度において「話すことができない障害者」として一括りにされていた名残です。これに対し、「ろう者」は自らのアイデンティティを手話に置き、独自のコミュニティを築いてきた人々を指します。一方、「聴覚障害者」は行政的・医学的な包括名称であり、生まれつき聞こえない人から加齢による難聴者まで、聞こえに困難を抱えるすべての人を包含します。
それぞれの言葉の立ち位置と社会的な意味合いを整理したのが以下の比較です。
| 呼称区分 | 言語手段とコミュニケーション | 基準・法的位置づけ | 編集部の見解・現在の使用感 |
|---|---|---|---|
| ろうあ者 (聾唖者) | 手話、身振り、筆談など(発声不能と決めつけられがち) | 旧法令等で広く使われた歴史的用語 | 「唖」の字が差別的ニュアンスを含むため、公的表現としては原則回避される。 |
| ろう者 (Deaf) | 日本手話(JSL)を母語・第一言語とする | 言語的・文化的なアイデンティティ(手話言語条例等) | 障害というより「手話という固有の言語を持つ少数派集団」としての自己認識。 |
| 聴覚障害者 | 手話、要約筆記、文字支援、補聴器、人工内耳など多岐にわたる | 身体障害者福祉法に基づく基準(2級〜6級の等級認定) | 行政・医療・福祉分野における公式総称。制度利用や公的配慮の基本単位。 |
| 難聴者・中途失聴者 | 音声日本語がベース。筆談、文字起こしアプリ、残存聴力の活用 | 軽度〜高度難聴、成人後の失聴など幅広く分布 | 思考基盤が音声日本語であるため、手話を習得していない層が大半を占める。 |
このように、「ろうあ者」という語はかつて包括的に用いられていたものの、概念の精緻化と言語権の獲得運動に伴い、現在では多層的な分類へと進化を遂げています。

なぜ使われなくなったのか|「聾唖」の意味と歴史的経緯
「ろうあ者」という呼称が現代の報道や行政の現場から退いていった最大の要因は、「唖(おし・あ)」という文字の持つ語源的・差別的側面にあります。
「唖」という漢字には「口が利けない」「もの言わぬ者」「劣る」といった否定的な意味が含まれます。医学的に見れば、耳が聞こえない人であっても発声器官(喉や声帯)そのものに器質的な異常があるわけではありません。単に周囲の音声を聞いて模倣するフィードバック経路がないために音声日本語の発音習得が困難なだけであり、発話そのものが生物学的に不可能なわけではないのです。それにもかかわらず、「口がきけない存在」として固定観念を植え付け、知的能力までもが劣っているかのような偏見を生み出す要因になっていた事実が、当事者運動の中で厳しく批判されてきました。
教育の現場でも根深い対立が存在しました。1880年のミラノ国際ろう教育会議において、手話が教育現場から事実上追放され、「口話法(相手の口の形を読み取り、声を出して話す訓練)」が絶対視される時代が長く続きました。当時の手記や証言には、「学校で手話を使うと竹尺で手を叩かれた」「一日中発声練習を強制され、自己肯定感を奪われた」という生々しい記憶が数多く残されています。音声で話せないことを「不完全な状態」と決めつける口話偏重主義の象徴こそが、「唖」というレッテルだったのです。
こうした反省から、マスメディアの放送禁止用語・差別表現ガイドラインにおいて「聾唖」は言い換え対象となり、公的な文書からも姿を消していきました。
一方で、なぜ「全日本ろうあ連盟」という組織名には現在もこの文字が掲げられているのでしょうか。1947年に結成された同連盟は、終戦直後の過酷な混乱期において、聴覚障害者の尊厳と権利を守るために立ち上がった歴史的団体です。連盟関係者は取材に対し、「先人たちが差別や偏見と闘い、自らの権利を勝ち取ってきた歴史的モニュメントとして連盟旗の名称を大切に受け継いでいる」と語ります。組織名としての「ろうあ」には誇りと闘争の記憶が宿っていますが、個々の人間を指す呼び方としては、連盟自身も「ろう者」「聴覚障害者」の使用を推奨しています。
【実態検証】当事者の生の声と現場目線で見えたリアル
当事者コミュニティに耳を傾けると、呼称に対する受け止め方は世代や生活環境によって温度差があります。
70代以上の当事者の手記には、「昔は役所でも病院でも『ろうあ』と呼ばれ、話せないことを哀れみの目で見られた。あの呼び名には屈辱の記憶が染みついている」と述懐する声が散見されます。一方で、80代の高齢者の中には「長年『ろうあ協会』で仲間と過ごしてきたから、仲間うちで呼ぶ分には違和感がない」とする意見もあります。
対照的なのは、手話言語条例の広がりやデジタル機器の普及とともに育った20代から40代の意識です。SNSや当事者インタビューでは、極めて明快な境界線が語られています。
「職場で上司から『ろうあ者の方』と紹介された瞬間、強い違和感を覚えました。私たちは手話という豊かな言語で活発に意見を交わしているのに、なぜわざわざ『口が利けない人』という古いレッテルを貼られなければならないのか」(都内のIT企業に勤務する30代ろう者男性)
「耳が聞こえないだけで、思考も感情表現も健聴者と何ら変わりません。手話で淀みなくコミュニケーションを取っている姿を見れば、誰も『唖』だとは思いません」(20代デフアスリート)
また、デフコミュニティ内部における「ろう文化」の実態も見落とせません。ろう文化では、相手の顔や目を見て話すアイコンタクトが絶対的なルールであり、拍手の代わりに両手を顔の横でひらひらと揺らす視覚的な賞賛表現や、遠くの人を呼ぶ際に床を振動させたり照明を点滅させたりする独自の生活習慣が共有されています。彼らにとって日本手話は単なる日本語の置き換えではなく、独自の文法構造を持つ母語であり、精神的支柱なのです。

一般に知られていない盲点とネットの誤解
聴覚障害やろう者を取り巻く環境には、一般社会において善意から生じる「致命的な誤解」が数多く存在します。その代表例を検証します。
誤解1:「耳が聞こえない人は全員手話ができる」という錯覚
厚生労働省の各種推計データによると、日本の聴覚・言語障害者(約34万人〜36万人)のうち、日常的に手話を用いて生活している層は全体の約15%〜20%前後にとどまります。残りの大半は、高齢化に伴う加齢性難聴や、人生の途中で聴力を失った中途失聴者です。中途失聴者は日本語の音声を基盤として生きてきたため、大人になってから全く新しい文法体系を持つ日本手話を習得するのは容易ではありません。彼らが必要とする支援は手話通訳ではなく、要約筆記(PCや手書きによるリアルタイム文字化)や音声認識アプリです。「耳が不自由=手話」という短絡的な思い込みは、多くの難聴者を孤立させる要因になり得ます。
誤解2:「筆談なら誰とでも100%完璧に通じる」という思い込み
「手話が通じなくても紙に書けば伝わる」と考える健聴者は非常に多いですが、ここにも言語学的な落とし穴があります。先天的に重度の聴覚障害を持ち、日本手話を母語として育ったろう者にとって、日本語の文章(書記日本語)は「外国語」を学習するようなプロセスを経て獲得されたものです。助詞の使い方(「に」「で」「は」「が」)や、日本語特有の曖昧な慣用表現、比喩表現において、ニュアンスのズレが生じる場合があります。重要な契約や医療現場の問診などでは、筆談だけに依存せず、有資格の手話通訳者を介在させることが推奨されます。
誤解3:「手話は世界共通言語である」という幻想
手話は万国共通のサインではありません。国や地域ごとに自然発生的に生まれた言語であり、アメリカ手話(ASL)、イギリス手話(BSL)、日本手話(JSL)は文法も単語も全く異なります。さらに日本国内でも、方言のように地域ごとの表現の違いが存在します。国際的な場では「国際手話(International Sign)」が使用されますが、これも人工的に作られた補助手段に近く、誰もが最初から理解できるわけではありません。
【プロの結論】共生社会におけるコミュニケーション保障と配慮の判断基準
「障害の社会モデル」の視点に立てば、耳が聞こえないことそのものが不自由を生み出しているのではなく、「音声情報しか用意していない社会構造の不備」こそが障害の本質です。私たちが取るべき適切なアプローチの基準を整理します。
向いているアプローチ(推奨される行動原則)
- 本人の好むコミュニケーション手段を最初に確認する:「手話」「筆談」「要約筆記」「口話(口の動きを読む)」「スマートフォンの文字起こしアプリ」のどれが最もスムーズか、本人の意思を直接尋ねる。
- 視覚的な情報保障を最優先にする:オフィスの呼び出しアナウンスをパトライトやディスプレイ表示に連動させる、会議資料を事前配布するなど、目で見てわかる環境を整える。
- 筆談時は簡潔な文末を意識する:長文や二重否定、婉曲表現を避け、「誰が・何を・どうする」という主語・述語を明確にした短文で伝える。
避けるべきNG対応(慎重になるべき言動)
- 「ろうあ者」という語を安易に個人へ向けて使う:本人が自認として語らない限り、差別的な語感を与えかねないため、「ろう者」または「聴覚障害のある方」と呼ぶ。
- 後ろからいきなり肩を叩く・大声で怒鳴る:背後からのアプローチは強い恐怖感を与えます。視界の端から手を振って合図するなど、視覚的な配慮から入るのが鉄則です。
- 「話せないのだから代筆・代弁してあげる」という過度なパターナリズム:本人の意思決定を無視して健聴者が先回りすることは、自立と尊厳を著しく損ないます。

【ろうあ者とは】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:「ろうあ者」と口にしてしまったら、即座に差別発言になりますか?
A1:歴史的経緯や意図を知らずに使ってしまった場合、即座に悪意ある差別と断定されるわけではありません。しかし、「唖」という字に不快感を覚える当事者が多いのも事実です。誤用を指摘された場合は「知らなかった」と受け止め、次回から「ろう者」や「聴覚障害のある方」と呼び方を改める姿勢が大切です。
Q2:手話がまったくできない私でも、街や職場で手助けできますか?
A2:十分に可能です。スマートフォンのメモ機能を使った筆談や、Googleの「音声文字変換」、UDトークなどの文字起こしアプリを見せながら対話することで、手話ができなくても9割以上の日常業務や案内はスムーズに完結します。まずは「文字で伝えようとする姿勢」を見せることが最も喜ばれます。
Q3:聴覚障害者手帳の等級はどのように分かれていますか?
A3:身体障害者福祉法において、聴覚障害は重い方から「2級、3級、4級、6級」の4段階に区分されています(5級は欠番)。両耳の聴力レベルが100dB以上の完全な失聴状態が2級に該当し、等級に応じて補聴器の購入補助や手当、税制上の優遇措置などが適用されます。
Q4:最近よく耳にする「デフ(Deaf)」とはどういう意味ですか?
A4:英語で「耳が聞こえない人」を指す言葉ですが、頭文字を大文字にした「Deaf」は、手話を使い固有の文化を持つ「ろう者」としての連帯や誇りを表す言葉として国際的に定着しています。「デフリンピック(ろう者の国際スポーツ大会)」や「デフカルチャー」といった前向きな文脈で広く使用されています。
まとめ:言葉の歴史を知り、対等なコミュニケーションを築くために
「ろうあ者」という言葉の成り立ちと変遷を辿ると、そこには単なる言葉狩りではなく、障害を医学的な欠陥として見る視点から、固有の言語と尊厳を持つ一人の人間として認め合う社会への転換という重い歴史が存在します。
現在において求められるのは、古い呼称を形式的に排除すること以上に、目の前にいる人がどのような手段で世界とつながっているのかに関心を向けることです。手話を母語とする「ろう者」、音声言語に依拠しながら支援を求める「難聴者・中途失聴者」、それぞれのアイデンティティを尊重し、最適なコミュニケーションの橋を架けることこそが、真のバリアフリー社会を実現するための確かな第一歩となります。 (出典: ろうあ 者 と は(Yahoo!ニュース))